酔古堂剣掃 / 集奇・淵明の飄飄として世を遺るるを羨む
三徙成名,笑范蠡碌碌浮生,縱扁舟忘卻五湖風月;一朝解綬,羨淵明飄飄遺世,命巾車歸來滿室琴書。
新字:三徙成名,笑范蠡碌碌浮生,縦扁舟忘却五湖風月;一朝解綬,羨淵明飄飄遺世,命巾車帰来満室琴書。
書き下し
三たび徙りて名を成す、范蠡の碌碌たる浮生を笑ふ、扁舟を縱にして五湖の風月を忘卻す。一朝綬を解く、淵明の飄飄として世を遺るるを羨む、巾車に命じて歸り來たれば滿室の琴書あり。
現代語訳
三度住まいを移してそのたびに名を成した范蠡(春秋時代の越の功臣)のあくせくした浮き世の生き方を笑います。小舟を気ままに浮かべながらも、五湖の風月を忘れてしまっていたのです。ある朝、官職の印綬を解いた陶淵明(晋の詩人)が、ひらりと世を捨てたのをうらやましく思います。車に帷を掛けさせて故郷に帰れば、部屋いっぱいの琴と書物が待っていたのです。
解説
范蠡と陶淵明という、世を去った二人を比べた対句です。范蠡は越王勾践を助けて呉を滅ぼしたのち、小舟で五湖に去り、斉や陶に移って巨万の富を築き、三たび住まいを移して名を成したと伝えられます。筆者はそれを碌碌、つまりあくせくした生き方と笑い、五湖の風月を楽しむことを忘れていたと言います。一方、陶淵明は、わずかな俸禄のために腰を曲げられないと官を辞し、「帰去来の辞」を作りました。巾車は帷を掛けた車で、その辞にも見える言葉です。成功を重ねることより、自分の好きなものに囲まれて暮らすことを選ぶ、その生き方にこそ筆者は憧れているのです。
この章句が説くこと
隠逸名利知足読書閑適
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