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酔古堂剣掃 / 集倩・子猷の高情を羨む

與客到,金鐏醉來一榻,豈獨客去為佳;有人知,玉律回車三調,何必相識乃再。笑元亮之逐客何迂,羨子猷之高情可賞。

新字:与客到,金鐏酔来一榻,豈独客去為佳;有人知,玉律回車三調,何必相識乃再。笑元亮之逐客何迂,羨子猷之高情可賞。

書き下し

客の到るに與りては、金鐏に醉ひ來たりて一榻す、豈に獨り客の去るを佳と為さんや。 人の知る有れば、玉律に車を回らして三調す、何ぞ必ずしも相識りて乃ち再びせん。 元亮の客を逐ふの何ぞ迂なるを笑ひ、子猷の高情の賞すべきを羨む。

現代語訳

客がやってきたら、金の杯で酔って一つの寝台に並んで横になればよいのです。どうして客が帰ることだけをよしとする必要がありましょう。自分を知ってくれる人がいれば、車を引き返して玉の笛で三曲を奏でればよいのです。どうして知り合いでなければ二度と会わない、などと言う必要がありましょう。陶元亮が客を追い返したのは、なんと回りくどいことかと笑い、王子猷の気高い心を、ほめるべきものとしてうらやましく思います。

解説

客のもてなし方と、知己との交わり方について、二人の故事を比べた一則です。元亮は陶淵明の字で、酒を飲んで酔うと、客に、わたしは酔って眠りたいから君は帰ってよい、と言ったと伝えられます。著者はそれを、わざわざ客を追い返すなんて回りくどい、酔ったら客と一緒に寝てしまえばいい、とからかっています。子猷は東晋の王徽之の字です。『世説新語』に、王徽之が笛の名手桓伊とすれ違ったとき、面識もないのに使いを出して演奏を頼むと、桓伊は車を降りて三曲を吹き、言葉も交わさず去ったという話があります。互いの心がわかれば、知り合いかどうかは関係ない、という高雅な交わりです。形式にとらわれず、心のままに人と交わる自由さが、ここでは理想とされています。肩書きや面識にこだわらず、心が通う人と素直に交わる勇気を持ちたいものです。

この章句が説くこと

交友陶淵明世説新語音楽風流

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