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酔古堂剣掃 / 集峭・心形の役と爲れば塵世の馬牛

心為形役,塵世馬牛;身被名牽,樊籠雞騖。

新字:心為形役,塵世馬牛;身被名牽,樊籠鶏騖。

書き下し

心形の役と爲れば、塵世の馬牛、身名に牽かるれば、樊籠の雞騖。

現代語訳

心が体の欲望に使われるようになれば、俗世でこき使われる牛馬と同じであり、身が名誉に引きずられれば、籠の中に閉じこめられた鶏や家鴨と同じです。

解説

欲と名誉にとらわれた生き方の不自由さを、鋭く言い当てた対句です。心形の役と爲るは、陶淵明の帰去来辞にある言葉で、心が体の欲求の召し使いになってしまうことです。馬牛は人に使われて働く家畜、樊籠は鳥かご、雞騖は鶏と家鴨です。欲に振り回される人は自分の主人ではなく、名声を追う人は自分で作った籠の中にいるようなものだというのです。陶淵明はこう気づいて官を辞め、故郷の田園に帰りました。成果や評価を求めることは悪くありませんが、それに縛られて心の自由を失っていないか、ときどき立ち止まって確かめたいものです。

この章句が説くこと

修身名利自由隠逸節制

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