酔古堂剣掃 / 集素・古今我は陶元亮を愛す
古今我愛陶元亮,鄉里人稱馬少游。
新字:古今我愛陶元亮,郷里人称馬少游。
書き下し
古今我は陶元亮を愛し、鄉里の人は馬少游と稱す。
現代語訳
古今の人物の中で私は陶元亮(東晋の陶淵明)を愛し、郷里の人々には馬少游(後漢の馬援のいとこ)のような人だと呼ばれる身です。
解説
二人の古人の名を挙げて、自分の理想の生き方を示した対句です。陶元亮は東晋の詩人陶淵明で、官を辞して田園に帰り、酒と菊を愛した隠逸の象徴です。馬少游は後漢の名将馬援のいとこで、『後漢書』馬援伝によれば、人は衣食が足り、郷里で善人と称されれば十分で、それ以上を求めるのは自ら苦しむだけだと語った人物です。前半は心の師として陶淵明を仰ぎ、後半は暮らしぶりとして馬少游のような穏やかな一生を良しとしているのです。大きな功名よりも、身近な人々から善い人と呼ばれることに価値を置く姿勢は、今日の私たちにも一つの物差しを与えてくれます。
この章句が説くこと
隠逸知足陶淵明郷里処世
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