酔古堂剣掃 / 集素・古今我は陶元亮を愛す
古今我愛陶元亮,鄉里人稱馬少游。
新字:古今我愛陶元亮,郷里人称馬少游。
書き下し
古今我は陶元亮を愛し、鄉里の人は馬少游と稱す。
現代語訳
古今の人物の中で私は陶元亮(東晋の陶淵明)を愛し、郷里の人々には馬少游(後漢の馬援のいとこ)のような人だと呼ばれる身です。
解説
二人の古人の名を挙げて、自分の理想の生き方を示した対句です。陶元亮は東晋の詩人陶淵明で、官を辞して田園に帰り、酒と菊を愛した隠逸の象徴です。馬少游は後漢の名将馬援のいとこで、『後漢書』馬援伝によれば、人は衣食が足り、郷里で善人と称されれば十分で、それ以上を求めるのは自ら苦しむだけだと語った人物です。前半は心の師として陶淵明を仰ぎ、後半は暮らしぶりとして馬少游のような穏やかな一生を良しとしているのです。大きな功名よりも、身近な人々から善い人と呼ばれることに価値を置く姿勢は、今日の私たちにも一つの物差しを与えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
隠逸知足陶淵明郷里処世
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『政談』戶籍の事そればかりに非ず、人に郷里と云ふもの定まる故親類も近所にこれあり、幼少よりの友だちも満ち〳〵たり、自然と親類友だちの前を思ひて悪事はせぬものなり、一町一村の内にて名主の知らぬ人なし、一町一村の人相互に先規よりしり、幼少よりしる、善悪ともに明かに知るゝことなる上に、五人組の法を以て吟味するとき何ごとも隠くれ家曽て之なき事なり、当時も人別帳もあり、名主もあり、五人組もあれども、店換を自由にし、他国へも自由にゆき、又他国より来たりて其の所に住むこと自由なれば、日本国中の人入り乱れ混乱し、何方も〳〵皆しばしの住所と云ふものになり、人に永久の心なし、隣に搆はす、隣よりもこの方へ搆はず、其人の本を知らねば知らぬと云ふにて何もすむなり、先をも知らねば始終は名主を初め我が苦にはせぬ故、人々めん々こうになり心まゝなり、畢竟当分のある人を人別帳に付けたるまでにて、より〳〵にぬきさしを仕置くこと故、人別帳も何の詮もこれなきことなり、
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『呻吟語』内篇・修身・鄉に縉紳有るは鄉の殃なり古は鄉に縉紳有れば、家邦其の庇蔭を受け、士民視て準繩と為す。今や鄉に縉紳有れば、家邦に陵奪勞費の憂ひを增し、士民に奢靡浮薄の俗を開く。然らば則ち鄉に縉紳有るは、鄉の殃なり、風教の蠹なり。吾が黨自ら愧ぢ自ら恨む可きなり。
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『政談』戶籍の事かくの如く法を立てかゆるときは、右云ふ如く何もかも隠れ家なきのみならず、一町一村の人は相互に自然となじみ付き、若悪きことをば相互に異見を云ひ、云はるれば異見をきかぬこともならず、又相互に見離さず、交りねんごろなり、此の上に奉行治めの筋に心を入れ、名主に打任せてよく下知すれば一町一村の内相互に睦しく、風俗自然に直り、悪人は自然と出ぬこと古聖人の治め斯の如し、井田を直道の本と云ふも実は此の事なるを、たゞ田地を碁盤格子の如くする算用あひのことのやうに心得るは大なる誤りなり、
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