酔古堂剣掃 / 集奇・己を舍てて人の為にす
大豪傑,舍己為人,小丈夫,因人利己。
新字:大豪傑,舎己為人,小丈夫,因人利己。
書き下し
大豪傑は、己を舍てて人の為にし、小丈夫は、人に因りて己を利す。
現代語訳
大いなる豪傑は、自分を捨てて人のために尽くし、器の小さい男は、人を利用して自分の利益を図ります。
解説
人の器の大小を、利己と利他で見分けた対句です。豪傑は才知と度量にすぐれた人物、小丈夫は器量の小さい男を言います。大きな人物は自分を後回しにして人のために働きますが、小さな人物は人を踏み台にして自分の得を図るというのです。舎己為人は、自分を捨てて人に尽くすことで、仏教の利他の精神にも通じます。因人利己は、人に頼り、人を利用して自分を利することです。わずか十数字ですが、人を見る物差しとしても、自分を省みる鏡としても使える鋭い一句です。仕事でも家庭でも、自分の得ばかり考えていないか、ときどき胸に手を当てて問い直してみたいものです。
この章句が説くこと
利他器量修身豪傑処世
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