酔古堂剣掃 / 集奇・達士は其の我に在るを盡くす
佞佛若可懺罪,則刑官無權;尋仙若可延年,則上帝無主。達士盡其在我,至誠貴於自然。
新字:佞仏若可懺罪,則刑官無権;尋仙若可延年,則上帝無主。達士尽其在我,至誠貴於自然。
書き下し
佛に佞して若し罪を懺ゆ可くんば、則ち刑官權無からん。仙を尋ねて若し年を延ぶ可くんば、則ち上帝主無からん。達士は其の我に在るものを盡くし、至誠は自然を貴ぶ。
現代語訳
仏にへつらって罪を懺悔すれば罪が消えるというのなら、刑罰をつかさどる役人は権限を失ってしまいます。仙人を探し求めて寿命が延ばせるというのなら、天帝は主宰する者ではなくなってしまいます。道理に通じた人は自分の手の内にあることを尽くし、まことの心は自然のままを尊びます。
解説
信仰や神仙術に頼る安易な救いを退けた一則です。佞仏は仏にへつらうこと、懺罪は罪を懺悔して消してもらうことです。お参りして罪が消えるなら刑罰を扱う役人はいらなくなり、仙人を探して寿命が延びるなら天の定めは意味を失う、と理詰めで批判します。達士は物事の道理に通じた人です。そういう人は、自分の力の及ぶこと、つまり在我のことを精一杯尽くし、あとは自然の成り行きに委ねるというのです。至誠は、うそ偽りのない真心のことです。困ったときに何かにすがりたくなるのは人の常ですが、まず自分にできることを尽くすことが、本当の救いへの近道なのでしょう。
この章句が説くこと
修身至誠自立自然達観
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