酔古堂剣掃 / 集素・思ひを少なくし欲を寡なくす
獨臥林泉,曠然自適,無利無營,少思寡欲,修身出世法也。
新字:独臥林泉,曠然自適,無利無営,少思寡欲,修身出世法也。
書き下し
獨り林泉に臥し、曠然として自適し、利無く營無く、思ひを少なくし欲を寡なくす、身を修め世を出づるの法なり。
現代語訳
ひとり林や泉のほとりに身を横たえ、からりと広い心で自分の思うままに過ごし、利益も求めずあくせく営むこともなく、思い煩いを少なくし欲を減らす。これが身を修め、世俗を超える方法です。
解説
修身と出世、つまり自分を修めることと世俗を超えることが、同じ一つの道で果たせると述べた一則です。林泉は林と泉で、隠者の住む自然を言います。曠然は心がからりと広いさま、自適は自分の心にかなって楽しむことです。無営はあくせく営まないこと、少思寡欲は『老子』の少私寡欲を思わせる言葉で、思い煩いと欲を減らすことです。ここでの出世は、出世街道の意味ではなく、仏教でいう世俗を超え出ることです。自然の中で一人静かに過ごし、欲を減らすことが、人格を磨くことにも心の自由にもつながると言います。休日にひとり自然の中を歩く時間は、心を整える修養にもなるのです。
この章句が説くこと
修身無欲自然隠逸自適
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