酔古堂剣掃 / 集韻・但だ停雲の賦を讀む
海內慇勤,但讀停雲之賦,目中寥廓,徒歌明月之詩。
新字:海内慇勤,但読停雲之賦,目中寥廓,徒歌明月之詩。
書き下し
海內の慇勤は、但だ停雲の賦を讀むのみ、目中寥廓として、徒らに明月の詩を歌ふのみ。
現代語訳
天下の友への心からの思いは、ただ「停雲」の詩(陶淵明が友を思って作った詩)を読むことで表すばかりです。見渡す限り人影もなくがらんとしていて、むなしく明月の詩を口ずさむばかりです。
解説
遠くの友を思う寂しさを述べた対句です。海内は天下、慇勤は心からの手厚い思いを言います。停雲は晋の陶淵明の詩の題で、序に親友を思う詩だと記され、雲がたれこめ雨が降り続く中で、会えない友を思う気持ちが詠まれています。寥廓はがらんとして広々としたさまで、目の前には語り合える友の姿がありません。そこで月を詠んだ詩をむなしく歌うしかないというのです。月は昔から、離れた人同士が同じものを見上げて互いを思う象徴とされてきました。会えない友を思う気持ちは今も変わりません。久しく会っていない友に、短い便りを送ってみてはいかがでしょう。
この章句が説くこと
交友孤独詩文月友情
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