酔古堂剣掃 / 集韻・落落たる者は合ひ難し
落落者難合,一合便不可分,欣欣者易親,乍親忽然成怨。故君子之處世也,寧風霜自挾,無魚鳥親人。
新字:落落者難合,一合便不可分,欣欣者易親,乍親忽然成怨。故君子之処世也,寧風霜自挟,無魚鳥親人。
書き下し
落落たる者は合ひ難きも、一たび合へば便ち分かつ可からず。欣欣たる者は親しみ易きも、乍ち親しみて忽然として怨を成す。故に君子の世に處するや、寧ろ風霜もて自ら挾むとも、魚鳥の人に親しむこと無かれ。
現代語訳
人とあまり打ち解けない人は、なかなか気が合いませんが、ひとたび気が合えば、もう離れられなくなります。愛想よく喜んで近づいてくる人は、親しくなりやすいのですが、すぐに親しんでは、たちまち恨みを生むようになります。だから君子が世を渡るには、むしろ風や霜のような厳しさを身にまとうとしても、魚や鳥が人になつくような安易な親しみ方はしないものです。
解説
交わりは浅く広くより、深く確かなものがよいと説く一則です。落落は人と打ち解けず、超然としているさま、欣欣は喜んで愛想よくするさまです。気難しい人とは合いにくいが、合えば生涯の友となり、愛想のよい人とはすぐ親しくなるが、すぐに仲たがいしてしまう、という人間観察です。風霜自挟は、風や霜のような厳しさを身に帯びること、魚鳥親人は餌につられて人になつく魚や鳥のように、軽々しく親しむことを言います。君子は安易に人になつかず、節度ある距離を保つべきだというのです。すぐに打ち解けない相手こそ、時間をかけて付き合うと、かけがえのない友になるかもしれません。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
交友処世節度君子人情
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