酔古堂剣掃 / 集韻・門を杜ぢて客を謝す
幽徑蒼苔,杜門謝客,綠陰清晝,脫帽觀詩。
新字:幽径蒼苔,杜門謝客,緑陰清昼,脱帽観詩。
書き下し
幽徑蒼苔、門を杜ぢて客を謝し、綠陰清晝、帽を脫ぎて詩を觀る。
現代語訳
ひっそりとした小道には青い苔がむし、門を閉ざして客を断ります。緑の木陰の清らかな昼には、帽子を脱いで詩を読みます。
解説
ひとりの時間を守る隠者の暮らしを描いた対句です。杜門は門を閉ざすこと、謝客は客を断ることです。苔むした小道は、人がほとんど通らないことを示しています。清昼は清らかで静かな昼、脱帽はくつろいで帽子を取ることです。人づきあいを断って、緑陰の下でくつろいで詩を読む、その自足した時間が描かれています。人と会うことは大切ですが、自分ひとりの時間がなければ心は疲れてしまいます。ときには予定を入れず、連絡も断って、好きな本とだけ向き合う日を作ることも、自分を立て直すために必要でしょう。門を閉ざす勇気も、暮らしを整える知恵の一つです。
この章句が説くこと
隠逸読書閑適孤独清閑
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