酔古堂剣掃 / 集韻・悠然として自ら欣ぶ
手撫長松,仰視白雲,庭空鳥語,悠然自欣。
書き下し
手づから長松を撫し、仰ぎて白雲を視る、庭空しくして鳥語り、悠然として自ら欣ぶ。
現代語訳
自分の手で高い松の木をなで、見上げて白い雲を眺めます。庭には人けがなく鳥がさえずり、ゆったりと心のままに自ら喜びます。
解説
ひとり庭で過ごす満ち足りた時間を描いた一則です。高い松をなでるというのは、晋の陶淵明が「帰去来の辞」で、孤松を撫して盤桓す、つまり一本松をなでながら立ち去りがたくたたずむと詠んだ姿を思わせます。悠然もまた、陶淵明の「悠然として南山を見る」の句で知られる言葉です。誰もいない庭で、松の手ざわりと雲と鳥の声だけを友に、ひとり静かに喜ぶのです。誰かに評価されたり、何かを成し遂げたりしなくても、自然の中にいるだけで満たされる時間があります。忙しい日々の中にも、ひとりで空を見上げるだけの短い時間を持つと、心がゆっくりとほどけていくでしょう。
この章句が説くこと
閑適隠逸自然自適清閑
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