酔古堂剣掃 / 集韻・雲山を友とする者を友とす
古之君子,行無友,則友松竹;居無友,則友雲山。余無友,則友古之友松竹、友雲山者。
書き下し
古の君子、行くに友無ければ、則ち松竹を友とし、居るに友無ければ、則ち雲山を友とす。余友無ければ、則ち古の松竹を友とし雲山を友とする者を友とす。
現代語訳
昔の君子は、出かけるときに友がいなければ松や竹を友とし、家にいるときに友がいなければ雲や山を友としました。私には友がいないので、そうした昔の、松や竹を友とし、雲や山を友とした人々を友とします。
解説
友のいない寂しさを、古人を友とすることで乗り越える一則です。昔の君子は、人の友がいなければ松竹や雲山という自然を友としました。松や竹は節操の象徴、雲や山は超俗の象徴です。筆者はさらに一歩進めて、そうした古の君子その人を友とすると言います。つまり書物を通して古人と交わるということで、孟子が説いた尚友、すなわち古の人を友とするという考えに通じます。言い回しのおもしろさの中に、読書こそ最良の交友だという信念が込められています。身近に語り合える人がいないと感じるときも、本を開けば、時代を超えて心を通わせられる友がいるのです。
この章句が説くこと
交友読書尚友孤独自然
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