酔古堂剣掃 / 集韻・我始めて一局
李巖老好睡。眾人食罷下棋,巖老輒就枕,閱數局乃一展轉,云:「我始一局,君幾局矣?」
新字:李巖老好睡。衆人食罷下棋,巖老輒就枕,閲数局乃一展転,云:「我始一局,君幾局矣?」
書き下し
李巖老睡を好む。眾人食罷りて棋を下せば、巖老輒ち枕に就き、數局を閱して乃ち一たび展轉し、云ふ、「我始めて一局、君幾局ぞ」と。
現代語訳
李巌老は眠るのが好きでした。人々が食事を終えて碁を打ち始めると、巌老はすぐに枕について横になり、何局か打ち終わったころにようやく一度寝返りを打って、「私はやっと一局終えたが、君たちは何局打ったかね」と言いました。
解説
眠りを碁の一局にたとえた、ユーモラスな逸話です。宋代の随筆に見える話で、李巌老は眠ることを何よりも好んだ人物として描かれています。周りの人が碁に熱中しているあいだ、ひたすら眠り続け、ようやく寝返りを打つと、眠りの一局を終えたと言ってのけるのです。展転は寝返りを打つことです。碁も眠りも時を忘れる楽しみという点では同じだ、というしゃれが効いています。原文の雲は云の誤りと見て、云ふと読みました。人と同じ楽しみ方をしなくても、自分なりの楽しみがあればそれでよい、という自由な精神がうかがえます。十分な眠りも、立派な人生の楽しみの一つです。
この章句が説くこと
閑適睡眠諧謔自由養生
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