酔古堂剣掃 / 集靈・勝負の機早く決す
竹裏登樓,遠窺韻士,聆其談名理於坐上,而人我之相可忘;花間掃石,時候棋師,觀其應危劫於枰間,而勝負之機早決。
新字:竹裏登楼,遠窺韻士,聆其談名理於坐上,而人我之相可忘;花間掃石,時候棋師,観其応危劫於枰間,而勝負之機早決。
書き下し
竹裏に樓に登り、遠く韻士を窺ひ、其の名理を坐上に談ずるを聆けば、人我の相忘るべし。花間に石を掃ひ、時に棋師を候ひ、其の危劫に枰間に應ずるを觀れば、勝負の機早く決す。
現代語訳
竹林の中の楼に登って、遠くの風雅な人をうかがい、その人が座上で物事の道理を語るのを聞けば、他人と自分という区別も忘れられます。花の間で石を掃き清め、ときおり碁の名手を迎えて、その人が碁盤の上で危うい劫争いに応じるのを見れば、勝負の分かれ目がすでに早くから決まっているのが分かります。
解説
清談と碁という、文人の二つの楽しみを描いた一則です。韻士は風雅な人、名理は魏晋の清談で論じられた、名と実、有と無などの哲学的な道理です。人我の相は、他人と自分を区別する心で、仏教の言葉です。枰は碁盤、劫は碁で同じ形が繰り返される局面で、それをどう処理するかが勝負を左右します。すぐれた人の談論を聞けば我を忘れ、名手の碁を見れば、勝負は目に見える決着より前に、すでに局面の中で決まっていると分かる。物事の勝ち負けは、最後の瞬間ではなく、それまでの一手一手の積み重ねで決まっているのです。日々の小さな判断を大切にしたいものです。
この章句が説くこと
碁清談風雅判断交友
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
-
『酔古堂剣掃』集醒・事に任ずる者は利害の慮を忘る事を議する者は身事の外に在り、宜しく利害の情を悉すべし。事に任ずる者は身事の中に居り、當に利害の慮を忘るべし。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
-
『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
-
『酔古堂剣掃』集醒・多情の者は與に妍媸を定むべからず多情の者は、與に妍媸を定むべからず。多誼の者は、與に取與を定むべからず。多氣の者は、與に雌雄を定むべからず。多興の者は、與に去住を定むべからず。