酔古堂剣掃 / 集韻・山水を觀るも亦た書を讀むが如し
觀山水亦如讀書,隨其見趣高下。
新字:観山水亦如読書,随其見趣高下。
書き下し
山水を觀るも亦た書を讀むが如し、其の見趣の高下に隨ふ。
現代語訳
山水を眺めることも、また書物を読むのと同じで、その人の見識と趣味の高低によって得るものが変わります。
解説
景色の味わい方は、見る人の器量で決まると言う一句です。見趣は見識と趣味、ものを見る力とその好みのことです。同じ本を読んでも、読み手の力によって得るものがまったく違うように、同じ山水を見ても、浅い人は景色をただ眺めるだけ、深い人はそこに歴史や詩や人生を読み取ります。景色を味わう力もまた、読書と同じく日々の修養で育つものだというわけです。旅に出てもただ写真を撮って終わるのではなく、その土地の背景を知っておくと、景色の見え方は大きく変わります。何を見るかより、どう見るかを磨くことが、人生を豊かにする近道なのでしょう。
この章句が説くこと
読書山水見識学問感性
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