酔古堂剣掃 / 集韻・皇古に遊ぶが如し
一室十圭,寒蛩聲暗,折腳鐺邊,敲石無火,水月在軒,燈魂未滅,攬衣獨坐,如遊皇古意思。
新字:一室十圭,寒蛩声暗,折脚鐺辺,敲石無火,水月在軒,灯魂未滅,攬衣独坐,如遊皇古意思。
書き下し
一室十圭、寒蛩の聲暗く、折腳鐺の邊、石を敲けども火無く、水月軒に在り、燈魂未だ滅せず、衣を攬りて獨り坐すれば、皇古に遊ぶが如き意思あり。
現代語訳
ごく狭い一間で、秋のこおろぎの声はかすかに聞こえ、脚の折れた鍋のそばで火打ち石を打っても火がつきません。水に映った月が軒先にあり、灯火のかすかな炎はまだ消えていません。衣を手に取ってひとり座っていると、はるかな太古の世に遊んでいるような気持ちになります。
解説
貧しい一室での静かな夜を描いた一則です。十圭は、ごく狭い部屋を言う表現と読めます。寒蛩は秋冬のこおろぎ、折脚鐺は脚の折れた三本足の鍋で、貧しい暮らしの象徴です。火打ち石を打っても火がつかないほどの侘しさですが、軒には水に映る月があり、消え残る灯火があります。燈魂は灯火の炎を魂にたとえた言葉です。そこにひとり座ると、皇古、すなわち伏羲や神農の時代のような素朴な太古に遊んでいる心地になるというのです。何もない静けさは、見方を変えれば時代を超えた自由でもあります。物のない時間を、寂しさでなく豊かさとして味わえる心を持ちたいものです。
この章句が説くこと
清貧閑適孤独隠逸静寂
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