酔古堂剣掃 / 集韻・雲水の淡情
風波塵俗,不到意中,雲水淡情,常來想外。
新字:風波塵俗,不到意中,雲水淡情,常来想外。
書き下し
風波塵俗は、意中に到らず、雲水の淡情は、常に想外に來たる。
現代語訳
世間の波風や俗塵は、心の中にまで入り込んできません。雲や水のような淡い情趣は、いつも思いがけないところからやってきます。
解説
俗事と淡い情趣との、心への入り方の違いを言った対句です。風波は世の中の波風、もめごとや浮き沈みを指し、塵俗は俗世の汚れを言います。意中は心の内のことです。心がしっかり定まっていれば、そうした波風は心の奥にまで届きません。一方、雲水の淡情、つまり雲や水のようにさらりとした情趣は、こちらが求めていないときに、思いもかけず訪れてくるというのです。心を塞ぐものを拒み、心を潤すものには扉を開けておく、そんな心の在り方がうかがえます。日々の雑事に心を占領させず、ふと訪れる小さな喜びに気づける余白を残しておきたいものです。
この章句が説くこと
閑適心境清閑自然処世
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