酔古堂剣掃 / 集素・世に應ずるに不即不離の法
存心有意無意之間,微雲淡河漢;應世不即不離之法,疏雨滴梧桐。
新字:存心有意無意之間,微雲淡河漢;応世不即不離之法,疏雨滴梧桐。
書き下し
心を有意無意の間に存すれば、微雲河漢に淡し。 世に應ずるに不即不離の法をもってすれば、疏雨梧桐に滴る。
現代語訳
心を、意図するでもなく意図しないでもない間に保つさまは、薄い雲が天の川にかかってほのかにかすむようです。つかず離れずのやり方で世に応じるさまは、まばらな雨が青桐の葉にしたたるようです。
解説
心の持ち方と世との付き合い方を、二つの淡い景色にたとえた対句です。有意無意の間とは、力みすぎず、かといって無関心でもない、ほどよい心の状態です。それを、天の川に薄く雲がかかる様子にたとえます。不即不離は仏教に由来する言葉で、つかず離れずの関係を言います。景色の二句は、唐の孟浩然の、微雲河漢に淡く、疏雨梧桐に滴るという名句をそのまま用いたものです。人との関わりに疲れたとき、深入りも拒絶もせず、ほどよい距離を保つ知恵を、美しい情景とともに思い出させてくれます。
この章句が説くこと
中庸処世交友風雅心境
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