酔古堂剣掃 / 集韻・人品と茶と相得べし
茶中著料,碗中著果,譬如玉貌加脂,蛾眉著黛,翻累本色。煎茶非漫浪,要須人品與茶相得,故其法往往傳於高流隱逸,有煙霞泉石磊落胸次者。
新字:茶中著料,碗中著果,譬如玉貌加脂,蛾眉著黛,翻累本色。煎茶非漫浪,要須人品与茶相得,故其法往往伝於高流隠逸,有煙霞泉石磊落胸次者。
書き下し
茶中に料を著け、碗中に果を著くるは、譬へば玉貌に脂を加へ、蛾眉に黛を著くるが如く、翻つて本色を累はす。茶を煎ずるは漫浪に非ず、要ず須らく人品と茶と相得べし。故に其の法は往往にして高流隱逸の、煙霞泉石の磊落たる胸次有る者に傳はる。
現代語訳
茶の中に香料を入れたり、茶碗の中に果物を入れたりするのは、たとえば玉のように美しい顔に紅を加え、三日月のような眉に眉墨を引くようなもので、かえって本来の持ち味を損ないます。茶を煎じるのはいい加減なことではなく、必ず人柄と茶とがよく合っていなければなりません。だからその作法は、しばしば品格の高い人や隠者、霞や泉石を愛する大らかな胸の内を持つ人に伝わってきたのです。
解説
茶の本来の味と、それを淹れる人の品格を論じた一則です。当時は茶に香料や果物を加えて飲む習慣もありましたが、筆者はそれを美人に厚化粧をさせるようなものだと退けます。本色は、もともとの持ち味のことです。茶を煎じるのは気まぐれな遊びではなく、淹れる人の人柄と茶とが響き合ってこそ味が生きると言います。煙霞泉石は霞や泉、岩など自然の風景で、そうしたものを愛する磊落な、つまり大らかでこだわりのない心の持ち主にこそ、茶の道は伝わってきたというのです。素材の持ち味を生かすことは、料理や仕事にも通じます。飾り立てる前に、本来の良さを見極めたいものです。
この章句が説くこと
茶道品格本色風雅簡素
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