酔古堂剣掃 / 集韻・名山は藥の如し
流水有方能出世,名山如藥可輕身。
新字:流水有方能出世,名山如薬可軽身。
書き下し
流水は方有りて能く世を出で、名山は藥の如く身を輕くす可し。
現代語訳
流れる水には行く道筋があって、世の外へと出て行くことができ、名山は薬のように身を軽くしてくれます。
解説
山水が人の心身に与える効き目を詠んだ対句です。流水は決まった方向を持ちながら、やがて俗世の外へと流れ去ります。出世は、ここでは立身出世ではなく、仏教でいう世俗を離れることです。軽身は、道教で仙薬を飲むと体が軽くなり仙人に近づくとされたことを踏まえた言葉です。名山に登れば、仙薬を飲んだように身も心も軽くなるというのです。山歩きや水辺の散策で気分が晴れるのは、昔も今も変わりません。疲れがたまったときは、薬より先に、山や川へ出かけてみるのも一つの養生でしょう。
この章句が説くこと
自然養生隠逸山水閑適
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