酔古堂剣掃 / 集醒・文章は山水の癖を療せず
文章不療山水癖,身心每被溪山縛。
新字:文章不療山水癖,身心毎被渓山縛。
書き下し
文章は山水の癖を療せず、身心每に溪山に縛らる。
現代語訳
文章を書いても、山水を愛する癖は治りません。身も心もいつも谷や山に縛られています。
解説
集醒の最後に置かれた、山水への愛着を自嘲まじりに詠んだ二句です。癖は病的なほどの好み、療はそれを治すことを言います。文章を書くことで心の渇きを癒そうとしても、山や谷に惹かれる思いはどうしても消えず、身も心もそちらに引っ張られてしまうというのです。縛られるという言葉には、困ったことだという嘆きと、それを楽しんでいる気持ちとが同居しています。世を醒ます警句を集めた集醒を、理屈ではどうにもならない山水への恋で締めくくるのは、次の集情へのつなぎとも読めます。誰にでも、止めようとしても止められない好きなものがあり、それが人生の彩りにもなっています。
この章句が説くこと
山水風雅自然隠逸癖
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集醒・詩酒も人に徇へば地獄なり山棲は是れ勝事なるも、稍一たび縈戀すれば、則ち亦た市朝なり。書畫の賞鑒は是れ雅事なるも、稍一たび貪癡すれば、則ち亦た商賈なり。詩酒は是れ樂事なるも、少しく一たび人に徇へば、則ち亦た地獄なり。客を好むは是れ豁達の事なるも、一たび俗子の撓す所と為れば、則ち亦た苦海なり。
-
『酔古堂剣掃』集靈・世外の交情は惟だ山のみ世外の交情は、惟だ山のみ。須らく大觀の眼、濟勝の具、久住の緣有りて、方に之と莫逆なるを許すべし。
-
『酔古堂剣掃』集韻・山水を觀るも亦た書を讀むが如し山水を觀るも亦た書を讀むが如し、其の見趣の高下に隨ふ。
-
『酔古堂剣掃』集韻・名山は藥の如し流水は方有りて能く世を出で、名山は藥の如く身を輕くす可し。
-
『酔古堂剣掃』集素・清流に濯ひて自ら潔くす茂樹に坐して以て日を終へ、清流に濯ひて以て自ら潔くす。 山に採れば、美にして茹ふべく、水に釣れば、鮮にして食ふべし。
-
『酔古堂剣掃』集情・山翠簾を撲つ山翠簾を撲ち、青蔥一片を卷き起さず、樹陰徑に流れ、芳影の幾重なるを掃ひ開かず。