酔古堂剣掃 / 集韻・犀を剸り雁を截るの舌鋒
剸犀截雁之舌鋒,逐日追風之腳力。
新字:剸犀截雁之舌鋒,逐日追風之脚力。
書き下し
犀を剸り雁を截るの舌鋒、日を逐ひ風を追ふの腳力。
現代語訳
犀を断ち切り、雁を截ち落とすほどの鋭い弁舌と、太陽を追いかけ、風に追いつくほどの健脚です。
解説
並外れた弁舌と脚力をたたえる対句です。剸は断ち切ることで、犀の固い皮も飛ぶ雁も一刀のもとに断つような切れ味を言います。舌鋒は、刃物のように鋭い言葉です。逐日は、太陽を追いかけた巨人夸父の神話を思わせ、追風は、風に追いつく駿馬の名にも使われる言葉です。二つを並べて、頭の回転と行動力を兼ね備えた人物像を描いています。ただ、鋭い弁舌は人を傷つけることもあります。言葉の切れ味や行動の速さは大きな武器ですが、それをどこに向けるかという判断があってこそ生きるものでしょう。
この章句が説くこと
弁舌才気行動言葉豪放
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