酔古堂剣掃 / 集韻・幽心の人は梅花に似る
幽心人似梅花,韻心士同楊柳。
書き下し
幽心の人は梅花に似、韻心の士は楊柳に同じ。
現代語訳
奥ゆかしい心を持つ人は梅の花に似ており、風雅な心を持つ士は柳と同じです。
解説
人の心ばえを花木にたとえた対句です。幽心は、世の喧騒から離れた静かで奥深い心、韻心は、風流を解するしなやかな心を指します。梅は寒さの中でひっそりと香り、古来、隠者や清廉な人の象徴とされてきました。柳は風にしなやかになびき、春の情趣を伝える木です。一方は凛とした孤高、一方はやわらかな風情と、二つの美しさを並べています。人にはそれぞれの品格があり、どちらが上というものではありません。自分の心が梅に近いのか柳に近いのかを考えてみると、自分らしい振る舞い方が見えてくるかもしれません。
この章句が説くこと
風雅品格自然梅花修身
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集韻・玉を蘊み珠を含むが如し清姿は雲に臥し雪を餐ふが如く、天地も盡く其の塵汙を愧づ。雅致は玉を蘊み珠を含むが如く、日月も轉た其の泄露を嫌ふ。
-
『酔古堂剣掃』集綺・綠篠清漣に媚ぶ石上の酒花、幾片の濕雲夜色に凝り、 松間の人語、數聲の宿鳥朝喧を動かす。 媚の字は極めて韻あり、出すに清致を以てすれば、則ち窈窕として但だ風神を見、附するに妖嬈を以てすれば、則ち做作して畢く醜態を露はす。 芙蓉の秋水に媚び、綠篠の清漣に媚ぶるが如くにして、方に跡を著けず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・風月の場に傖父を插む田舍兒強ひて馨語を作せば、俗因を博し得、風月の場に傖父を插み入るれば、便ち惡趣と成る。
-
『酔古堂剣掃』集韻・塵埃も犯す可からず襟韻灑落たること晴雪秋月の如く、塵埃も犯す可からず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・莓苔に淡冶の光を生ず高士流連すれば、花木に清疏の致を添へ、幽人剝啄すれば、莓苔に淡冶の光を生ず。
-
『酔古堂剣掃』集綺・書生に寒酸の氣無し武士に刀兵の氣無く、書生に寒酸の氣無く、女郎に脂粉の氣無く、山人に煙霞の氣無く、僧家に香火の氣無ければ、 一番の世界を換へ出し、便ち世上に少くべからざるの人と爲る。