酔古堂剣掃 / 集韻・徑裏の閑談は石を拂ふに宜し
郊中野坐,固可班荊;徑裏閑談,最宜拂石。
新字:郊中野坐,固可班荊;径裏閑談,最宜払石。
書き下し
郊中に野坐するは、固より荊を班くべく、徑裏に閑談するは、最も石を拂ふに宜し。
現代語訳
郊外の野に座るときは、もちろん荊の枝を敷いて座ればよく、小道でのんびりと語り合うときは、石の上を払って座るのがいちばんです。
解説
野外で友と語り合うときの、素朴で風雅な座り方を描いた対句です。前の句の班荊は、春秋時代の楚の伍挙と声子が、道ばたで荊の枝を地に敷いて座り、旧交を温めた故事に基づく言葉で、友との親しい語らいを表しています。後の句では、小道で気軽に話をするときは、苔むした石の上を払ってそこに座るのが一番だと言います。敷物も椅子も持たず、その場にある荊や石を使って座るという、身軽で飾らない付き合い方が描かれています。わざわざ店を予約したり、準備を整えたりしなくても、散歩の途中で出会った友と、公園のベンチや石段に腰を下ろして語り合う時間は、何より贅沢なものかもしれません。
この章句が説くこと
交友自然閑適風雅素朴
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