酔古堂剣掃 / 集韻・心遠ければ自ら車塵馬跡無し
機息便有月到,風來不必苦海。人世心遠,自無車塵馬跡,何須痼疾丘山?
新字:機息便有月到,風来不必苦海。人世心遠,自無車塵馬跡,何須痼疾丘山?
書き下し
機息めば便ち月到り風來る有り、必ずしも人世を苦海とせず。 心遠ければ自ら車塵馬跡無し、何ぞ丘山を痼疾とするを須ひん。
現代語訳
たくらみの心がやめば、そのまま月が訪れ風が吹いてくるような境地があるので、必ずしも人の世を苦しみの海とみなす必要はありません。心が世俗から遠く離れていれば、おのずと車の塵や馬の足跡のような俗事は届かないので、どうして山水を愛するあまり治らない病のようになってまで山に籠もる必要があるでしょうか。
解説
世を逃れて山に籠もらなくても、心の持ち方ひとつで清らかな境地は得られると説いた一則です。菜根譚にもほぼ同じ句があります。底本の句読点は乱れているので、菜根譚の区切りに従って読みました。機は、はかりごとやたくらみの心のことです。それがやめば、月や風を楽しむ心がおのずと生まれるので、人の世を苦海と嫌う必要はないと言います。心遠ければは、陶淵明の飲酒の詩の、心遠ければ地自ずから偏なり、を踏まえた言葉です。痼疾丘山は、山水を愛する癖が治らない持病のようになることです。場所を変えなくても、心を変えれば今いる所が静かな山になるのです。
この章句が説くこと
修身隠逸心境菜根譚陶淵明
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菜根譚・後集機息む時は、便ち月到り風来たる有り。必ずしも苦海の人世ならず。心遠き処は、自ら車塵馬迹無し。何ぞ須らく丘山に痼疾せんや。
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