酔古堂剣掃 / 集韻・羅羅として清疏なり
文房供具,藉以快目適玩,鋪疊如市,頗損雅趣,其點綴之法,羅羅清疏,方能得致。
新字:文房供具,藉以快目適玩,鋪畳如市,頗損雅趣,其点綴之法,羅羅清疏,方能得致。
書き下し
文房の供具は、藉りて以て目を快くし玩に適ふ、鋪疊して市の如くなれば、頗る雅趣を損ふ、其の點綴の法は、羅羅として清疏にして、方に能く致を得。
現代語訳
書斎の道具は、それによって目を楽しませ、手に取って愛でるためのものです。けれども市場の店先のように並べ立て積み重ねてしまうと、ひどく風雅な趣を損ないます。道具をほどよく配置するには、まばらにすっきりと、清らかに間を空けて置いてこそ、はじめて趣が生まれるのです。
解説
書斎の道具の飾り方について、多すぎず、すっきりと置くことを説いた一則です。文房の供具は、筆、墨、硯、紙をはじめ、筆立てや水差し、文鎮など、文人が書斎で使う道具のことです。明末には、そうした道具を集めて愛でることが文人の趣味として盛んになりました。しかし、たくさん集めて店先のように並べてしまうと、かえって風雅が失われると戒めています。點綴は、ほどよく散らして配置することです。羅羅は、まばらで清らかなさまです。持ち物を減らし、余白を大切にする考え方は、今日の片づけや整理の考え方にもそのまま通じます。机の上の物を半分に減らしてみるだけで、書斎の趣はずいぶん変わるでしょう。
この章句が説くこと
風雅簡素書斎余白整理
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