酔古堂剣掃 / 集景・樹影を踏みて歸る
與衲子輩坐林石上,談因果,說公案。久之,松際月來,振衣而起,踏樹影而歸,此日便是虛度。
新字:与衲子輩坐林石上,談因果,説公案。久之,松際月来,振衣而起,踏樹影而帰,此日便是虚度。
書き下し
衲子の輩と林石の上に坐し、因果を談じ、公案を說く。 之を久しうして、松際に月來れば、衣を振ひて起ち、樹影を踏みて歸る、此の日便ち是れ虛度なり。
現代語訳
僧侶たちと林の中の石の上に座り、因果の道理を語り、禅の公案を論じます。しばらくして、松の間から月が昇ってくると、衣を払って立ち上がり、木々の影を踏みながら帰ります。この一日は、つまりは空しく過ごしたということになるのです。
解説
僧たちと語り合って過ごした一日を、最後にあっさりと虚度と言い切る、味わい深い一則です。衲子は、つぎはぎの衣を着た禅僧のことです。因果は仏教の原因と結果の道理、公案は禅の修行で師が弟子に与える問いのことです。長く語り合ううちに松の間から月が昇り、衣を振るって立ち上がり、木の影を踏んで帰るという帰り道の描写が、とても美しく静かです。それなのに、この日は虚度、つまり何も成さずに過ごした一日だと結びます。世間の目から見れば無駄な一日であり、禅の立場から見ても言葉で語り合っただけの一日だという、自嘲とも悟りともつかない余韻があります。役に立たない一日こそが、心に残る一日なのかもしれません。
この章句が説くこと
禅交友閑適仏教月
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