酔古堂剣掃 / 集景・竹杖何ぞ獨り往くを妨げん
風晨月夕,客去後,蒲團可以雙跏;煙島雲林,興來時,竹杖何妨獨往。
新字:風晨月夕,客去後,蒲団可以双跏;煙島雲林,興来時,竹杖何妨独往。
書き下し
風晨月夕、客去りて後、蒲團以て雙跏すべし。 煙島雲林、興來る時、竹杖何ぞ獨り往くを妨げん。
現代語訳
風の吹く朝や月の夜、客が帰ったあとは、座布団の上で両足を組んで座ればよいのです。霞にけむる島や雲のかかる林へ、興が湧いたときには、竹の杖をついて一人で出かけても何の差し支えもありません。
解説
人と過ごす時間のあとの、一人の時間の楽しみ方を描いた対句です。風晨月夕は風の朝と月の夕べで、美しい時節を言います。雙跏は両足を組む結跏趺坐のことで、座禅の姿勢です。前の句は、客が帰ったあとの静けさを、座禅という内に向かう時間に使います。後の句は、興が湧けば一人で杖をついて景色の中へ出かけていく、外に向かう時間です。どちらも一人であることを寂しさではなく自由として楽しんでいます。人と会ったあとに一人の時間を持つことは、心を整えるために欠かせません。誰かを誘わなくても、思い立ったときに一人で出かけられる軽やかさを持っていたいものです。
この章句が説くこと
閑適孤独自由禅自然
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集豪・縹緲たる孤鴻縹緲たる孤鴻、影窗際に來る。戶を開きて之に從へば、明月懷に入り、花枝零亂たり。楓落ち吳江の句を朗吟すれば、人をして淒絕たらしむ。
-
『酔古堂剣掃』集倩・明月故人に減ぜず幽堂晝密かにして、清風忽ち來たりて好伴となる。 虛窗夜朗らかにして、明月故人に減ぜず。
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『幽夢影』巻下・月を邀へて愁ひを言ふ淸宵に獨り坐し、月を邀へて愁ひを言ふ。良夜に孤り眠り、蛩を呼びて恨みを語る。
-
徒然草・第75段つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に従へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに随ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり、酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑にし、事に与らずして心を安くせむこそ、暫く楽しぶともいひつべけれ。「生活、人事、技能、学問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止観にもはべれ。
-
『韓非子』和氏第十三人主、能く大臣の議に倍き、民萌の誹を越え、獨り道言に周するに非ずんば、則ち法術の士、死亡に至ると雖も、道必ず論ぜられざらん。