酔古堂剣掃 / 集景・花に喜怒寤寐曉夕有り
花有喜、怒、寤、寐、曉、夕,浴花者得其候,乃為膏雨。淡雲薄日,夕陽佳月,花之曉也;狂號連雨,烈焰濃寒,花之夕也;檀唇烘日,媚體藏風,花之喜也;暈酣神斂,煙色迷離,花之愁也;欹枝困檻,如不勝風,花之夢也;嫣然流盼,光華溢目,花之醒也。
新字:花有喜、怒、寤、寐、暁、夕,浴花者得其候,乃為膏雨。淡雲薄日,夕陽佳月,花之暁也;狂号連雨,烈炎濃寒,花之夕也;檀唇烘日,媚体蔵風,花之喜也;暈酣神斂,煙色迷離,花之愁也;欹枝困檻,如不勝風,花之夢也;嫣然流盼,光華溢目,花之醒也。
書き下し
花に喜、怒、寤、寐、曉、夕有り、花を浴する者其の候を得れば、乃ち膏雨と為る。 淡雲薄日、夕陽佳月は、花の曉なり。 狂號連雨、烈焰濃寒は、花の夕なり。 檀唇日に烘り、媚體風を藏すは、花の喜なり。 暈酣神斂まり、煙色迷離たるは、花の愁なり。 枝を欹て檻に困しみ、風に勝へざるが如きは、花の夢なり。 嫣然として流盼し、光華目に溢るるは、花の醒なり。
現代語訳
花には喜び、怒り、目覚め、眠り、朝、夕べがあります。花に水を注ぐ人が、その時機をうまくつかめば、恵みの雨になります。薄い雲に淡い日差し、夕日やよい月は、花にとっての朝です。吹きすさぶ風と長雨、焼けつく日差しときびしい寒さは、花にとっての夕べです。紅い唇のような花びらが日に照らされ、なまめかしい姿が風を受けて揺れるのは、花の喜びです。酔ったようにほんのり赤らみ、気が内にこもって、霞のようにぼんやりしているのは、花の愁いです。枝を傾けて欄干にもたれ、風に耐えられないようなのは、花の夢です。にっこりと流し目を送り、光が目にあふれるのは、花の目覚めです。
解説
花の状態を人の感情や一日の時間にたとえて、水やりの時機を説いた一則です。明の袁宏道が花の生け方を論じた瓶史に見える文章で、花を浴するとは、花に水を注いで洗うことです。花の様子をよく観察し、時機にかなえば水は恵みの雨になると言います。穏やかな天気は花の朝、荒れた天気は花の夕べとし、花の姿を喜、愁、夢、醒になぞらえて描き分けています。最初に挙げた喜怒寤寐と、後の説明の喜愁夢醒とが少し食い違っていますが、底本のままとしています。花を生き物として、その日その時の状態を見極めて世話をする姿勢は、植物を育てることだけでなく、人を育てることにも通じるでしょう。
この章句が説くこと
自然風雅草花観察時機
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