酔古堂剣掃 / 集景・門は設くるも關さず
高堂客散,虛戶風來,門設不關,簾鉤欲下。橫軒有狻猊之鼎,隱几皆龍馬之文,流覽雲端,寓觀濠上。
新字:高堂客散,虚戸風来,門設不関,簾鉤欲下。横軒有狻猊之鼎,隠几皆竜馬之文,流覧雲端,寓観濠上。
書き下し
高堂客散じ、虛戶風來り、門は設くるも關さず、簾鉤下さんと欲す。 橫軒に狻猊の鼎有り、隱几は皆龍馬の文、雲端を流覽し、濠上に寓觀す。
現代語訳
広間から客が帰って散り、がらんとした戸口に風が吹き込み、門はあっても閉ざさず、簾の鉤は下ろそうとしています。横に張り出した軒には獅子をかたどった香炉の鼎があり、もたれかかる机にはどれも龍馬の模様が施されています。雲の果てを見渡し、濠水のほとりで魚の楽しみを眺めるような思いに心を寄せます。
解説
客が去った後の広間の静けさと、そこでの心の遊びを描いた一則です。門は設くるも關さずは、陶淵明の帰去来の辞の、門は設けても常に閉じている、を逆にした言い方で、誰にでも開かれた気ままさを表しています。狻猊は獅子のことで、香炉の蓋に獅子の形を飾ったものです。隱几は、荘子の南郭子綦が机にもたれて我を忘れた姿を思わせます。龍馬の文は、伏羲のとき黄河から現れた龍馬の背にあった図、河図を思わせる模様でしょう。濠上は、荘子と恵施が濠水の橋の上で魚の楽しみについて問答した故事の場所です。客が帰ったあとの一人の時間に、心を遠くへ遊ばせる楽しみが描かれています。
この章句が説くこと
閑適隠逸荘子孤独風雅
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