酔古堂剣掃 / 集景・園林洗ふが如し
春雨初霽,園林如洗,開扉閑望,見綠疇麥浪層層,與湖頭煙水相映帶,一派蒼翠之色,或從樹杪流來,或自溪邊吐出。支笻散步,覺數十年塵土肺腸,俱為洗凈。
新字:春雨初霽,園林如洗,開扉閑望,見緑疇麦浪層層,与湖頭煙水相映帯,一派蒼翠之色,或従樹杪流来,或自渓辺吐出。支笻散歩,覚数十年塵土肺腸,倶為洗浄。
書き下し
春雨初めて霽れ、園林洗ふが如し、扉を開きて閑かに望めば、綠疇の麥浪層層として、湖頭の煙水と相映帶し、一派蒼翠の色、或いは樹杪より流れ來り、或いは溪邊より吐き出づるを見る。 笻を支へて散步すれば、數十年の塵土の肺腸、俱に洗凈せらるるを覺ゆ。
現代語訳
春の雨が上がったばかりで、庭園は洗われたように清らかです。扉を開けてのんびり眺めると、緑の畑に麦の穂が幾重にも波打ち、湖のほとりのもやに煙る水と照り映え合い、ひとすじの青々とした色が、あるときは梢から流れ出し、あるときは谷川のほとりから吐き出されてくるのが見えます。竹の杖をついて散歩すると、数十年のあいだ俗世の塵にまみれた胸の中が、すっかり洗い清められるのを感じます。
解説
春雨の上がった朝の、洗われたような景色を描いた一則です。雨上がりの庭園を洗ふが如しと言い、まず景色全体が清められた印象を示しています。綠疇の麥浪は、緑の畑に麦の穂が風で波打つさまで、湖のもやと映り合う広々とした眺めです。一派蒼翠の色が、梢から流れ出たり、谷のほとりから吐き出されたりするという表現は、緑がまるで液体のように動いているかのようで、雨上がりの瑞々しさをよく伝えています。笻は竹の杖のことです。景色が洗われたのと同じように、自分の胸の中まで洗われたと感じるところに、この一則の要があります。雨上がりの朝には、少しだけ早起きして外を歩いてみたくなります。
この章句が説くこと
自然閑適春散策田園
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