酔古堂剣掃 / 集素・桑林麥隴、高下秀を競ふ
桑林麥隴,高下競秀;風搖碧浪層層,雨過綠雲繞繞。雉雊春陽,鳩呼朝雨,竹籬茅舍,閒以紅桃白李,燕紫鶯黃,寓目色相,自多村家閒逸之想,令人便忘艷俗。
新字:桑林麦隴,高下競秀;風揺碧浪層層,雨過緑雲繞繞。雉雊春陽,鳩呼朝雨,竹籬茅舎,閒以紅桃白李,燕紫鶯黄,寓目色相,自多村家閒逸之想,令人便忘艶俗。
書き下し
桑林麥隴、高下秀を競ふ。 風搖らげば碧浪層層たり、雨過ぐれば綠雲繞繞たり。 雉は春陽に雊き、鳩は朝雨に呼ぶ。 竹籬茅舍、閒ふるに紅桃白李を以てし、燕は紫に鶯は黃なり。 目を色相に寓すれば、自ら村家閒逸の想ひ多く、人をして便ち艷俗を忘れしむ。
現代語訳
桑の林や麦の畝が、高く低く美しさを競い合っています。風が揺らせば緑の波が幾重にも重なり、雨が過ぎれば緑の雲がぐるりと取り巻きます。雉は春の日ざしの中で鳴き、鳩は朝の雨に呼びかけます。竹の垣根と茅ぶきの家の間に、紅い桃と白いすももの花が交じり、紫の燕と黄色の鶯が飛び交います。こうした色とりどりの景色に目を留めていると、自然と農家ののどかな暮らしへの思いが募り、華やかで俗っぽいものを忘れさせてくれます。
解説
春の農村の風景を色彩豊かに描いた一則です。麦隴は麦畑の畝、碧浪は風に揺れる緑の波、緑雲は雨上がりの茂った緑を雲にたとえたものです。雉雊は雉が鳴くこと、紫燕黄鶯は燕と鶯の色を対にした表現です。色相はもとは仏教の語で、目に見える姿かたちのことです。桃の紅、李の白、燕の紫、鶯の黄と色を重ねながら、それが艶っぽい華やかさではなく、素朴な村の美しさとして描かれているところに集素らしさがあります。都会の刺激的な美しさとは違う、土に根ざした美しさに目を向けると、心の落ち着きが戻ってくることを教えてくれます。
この章句が説くこと
田園自然素朴閑適春
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