酔古堂剣掃 / 集素・青山白雲は我が枕屏に非ざる無し
頗懷古人之風,愧無素屏之賜,則青山白雲,何在非我枕屏。
新字:頗懐古人之風,愧無素屏之賜,則青山白雲,何在非我枕屏。
書き下し
頗る古人の風を懷ふも、素屏の賜無きを愧づ。 則ち青山白雲、何くに在りてか我が枕屏に非ざらん。
現代語訳
私は古人の風格をたいへん慕っていますが、飾りのない白い屏風を賜るほどの身ではないことを恥じています。それならば、青い山と白い雲こそ、どこにあっても私の枕元の屏風でないものがありましょうか。
解説
物がないことを、自然そのものを持つことで逆転させた一則です。素屏は絵も書もない白い屏風で、唐の白居易に素屏謡という詩があり、飾りのない屏風を清廉な心の象徴として愛しました。賜は目上の人から賜ることです。古人のように素屏を枕元に立てて清らかに暮らしたいが、それを手に入れる縁もない。ならば、目の前の青山白雲を枕屏と見なせばよいと言うのです。枕屏は枕元に立てる小さな屏風です。持っていないものを嘆く代わりに、すでに手の届くところにある、もっと大きな美しさに目を向ける発想の転換が見事です。足りないものではなく、あるものを数えることの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
清貧自然知足白居易発想
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