酔古堂剣掃 / 集景・實に欲界の仙都なり
高峰入雲,清流見底。兩岸石壁,五色交輝,青林翠竹,四時俱備,曉霧將歇,猿鳥亂嗚;日夕欲頹,池鱗競躍,實欲界之仙都。自唐樂以來,未有能與其奇者。
新字:高峰入雲,清流見底。両岸石壁,五色交輝,青林翠竹,四時倶備,暁霧将歇,猿鳥乱嗚;日夕欲頽,池鱗競躍,実欲界之仙都。自唐楽以来,未有能与其奇者。
書き下し
高峰雲に入り、清流底を見る。 兩岸の石壁、五色交も輝き、青林翠竹、四時俱に備はる。 曉霧將に歇まんとして、猿鳥亂れ嗚き、日夕頹れんと欲して、池鱗競ひ躍る。 實に欲界の仙都なり。 唐樂より以來、未だ能く其の奇に與る者有らず。
現代語訳
高い峰は雲の中へそびえ、清らかな流れは底まで透けて見えます。両岸の岩壁は五色にかわるがわる輝き、青い林と緑の竹が四季を通じてそろっています。明け方の霧が晴れようとするころには、猿や鳥が入り乱れて鳴き、夕日が沈もうとするころには、水中の魚が競って跳ねます。まことに人の世にある仙人の都です。康楽公(謝霊運)以来、この素晴らしさにあずかれた人はいません。
解説
南朝梁の陶弘景が友人に宛てた手紙、答謝中書書をほぼそのまま採った一則です。高峰と清流、石壁と林竹、朝の猿鳥と夕べの魚と、上下、色彩、時間を対にして、山水の美を短く描き尽くしています。欲界は仏教の言葉で、欲望を持つ者が住む人間の世界のことで、そこにある仙人の都と言うところに驚きが込められています。底本は唐樂に作りますが、陶弘景の原文では康樂で、山水詩の祖とされる謝霊運が康楽公に封じられたことによる呼び名です。つまり謝霊運以来、この景色の真価を味わえた人はいないというのです。身近な山や川も、陶弘景のような目で見れば、仙都に見えてくるかもしれません。
この章句が説くこと
自然山水風雅名文景色
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