酔古堂剣掃 / 集靈・古今の絕藝を收めて山窗に置く
滄海日,赤城霞;蛾眉雪,巫峽雲;洞庭月,瀟湘雨;彭蠡煙,廣凌濤;廬山瀑布,合宇宙奇觀,繪吾齋壁。少陵詩,摩詰畫;左傳文,馬遷史;薛濤箋,右軍帖;南華經,相如賦;屈子離騷,收古今絕藝,置我山窗。
新字:滄海日,赤城霞;蛾眉雪,巫峡雲;洞庭月,瀟湘雨;彭蠡煙,広凌濤;廬山瀑布,合宇宙奇観,絵吾斎壁。少陵詩,摩詰画;左伝文,馬遷史;薛濤箋,右軍帖;南華経,相如賦;屈子離騷,収古今絶芸,置我山窗。
書き下し
滄海の日、赤城の霞、蛾眉の雪、巫峽の雲、洞庭の月、瀟湘の雨、彭蠡の煙、廣凌の濤、廬山の瀑布、宇宙の奇觀を合はせて、吾が齋壁に繪く。少陵の詩、摩詰の畫、左傳の文、馬遷の史、薛濤の箋、右軍の帖、南華經、相如の賦、屈子の離騷、古今の絕藝を收めて、我が山窗に置く。
現代語訳
大海の日の出、赤城山の霞、峨眉山の雪、巫峡の雲、洞庭湖の月、瀟湘の雨、彭蠡湖の靄、広陵の大波、廬山の滝。こうした天地の奇観を集めて、わが書斎の壁に描きます。杜甫の詩、王維の画、左伝の文章、司馬遷の史記、薛濤の詩箋、王羲之の法帖、荘子、司馬相如の賦、屈原の離騒。こうした古今の比類ない芸術を集めて、わが山の窓辺に置きます。
解説
天下の絶景九つと、古今の名作九つを並べ上げた、壮大な一則です。前半の景勝のうち、赤城は浙江天台の赤い岩山、巫峽は長江三峡の一つ、彭蠡は今の鄱陽湖、廬山の瀑布は李白の詩で名高い滝です。原文の廣凌は、枚乗の七発に描かれた広陵の大波のことと思われます。後半の少陵は杜甫、摩詰は王維、馬遷は司馬遷、薛濤は唐の女流詩人で彼女の作った色紙、右軍は王羲之、南華經は荘子、相如は司馬相如、屈子は屈原です。実際に集めることはできなくても、心の中の書斎にこれらを並べることはできます。好きな景色や作品を一覧にして眺めるだけでも、自分の美意識の輪郭が見えてきます。
この章句が説くこと
風雅山水読書芸術書斎
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