酔古堂剣掃 / 集素・何ぞ必ずしも一の廉名を標さん
廉所以懲貪,我果不貪,何必標一廉名,以來貪夫之側目;讓所以息爭,我果不爭,又何必立一讓名,以致暴客之彎弓?
新字:廉所以懲貪,我果不貪,何必標一廉名,以来貪夫之側目;譲所以息争,我果不争,又何必立一譲名,以致暴客之彎弓?
書き下し
廉は貪を懲らす所以なり、我果して貪らずんば、何ぞ必ずしも一の廉名を標して、以て貪夫の側目を來さん。 讓は爭ひを息むる所以なり、我果して爭はずんば、又た何ぞ必ずしも一の讓名を立てて、以て暴客の彎弓を致さん。
現代語訳
清廉は、貪欲を戒めるためのものです。自分が本当に貪らないのであれば、どうしてわざわざ清廉の名を掲げて、欲深い人ににらまれる必要があるでしょうか。謙譲は、争いを鎮めるためのものです。自分が本当に争わないのであれば、どうしてわざわざ謙譲の名を立てて、乱暴な者に弓を引かれる必要があるでしょうか。
解説
徳を実践することと、徳の名声を掲げることを分けて考えた一則です。廉も讓も本来は、貪欲や争いを止めるためにあるものです。それなのに清廉や謙譲を看板のように標榜すると、かえって欲深い者の反感や、乱暴な者の攻撃を招いてしまいます。側目は横目でにらむこと、彎弓は弓を引きしぼって狙うことです。徳は行いの中に黙って持っていればよく、名を立てれば新たな争いの種になる、という老荘的な知恵が表れています。菜根譚にもほぼ同じ句があります。正しいことをしているときほど、それを誇示せず静かに続けるほうが、周りとの摩擦を生まずにすむのでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
謙虚処世清廉名声菜根譚
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