酔古堂剣掃 / 集素・濃きも欣ばず淡きも厭はず
從五更枕席上參看心體,心未動,情未萌,才見本來面日;向三時飲食中諳練世味,濃不欣,淡不厭,方為切實功夫。
新字:従五更枕席上参看心体,心未動,情未萌,才見本来面日;向三時飲食中諳練世味,濃不欣,淡不厭,方為切実功夫。
書き下し
五更の枕席の上より心體を參看すれば、心未だ動かず、情未だ萌さず、才かに本來の面日を見る。 三時の飲食の中に向ひて世味を諳練すれば、濃きも欣ばず、淡きも厭はず、方に切實の功夫と為す。
現代語訳
夜明け前の寝床の上で心の本体をじっと見つめると、心がまだ動かず、感情もまだ芽生えていないので、はじめて本来の姿が見えてきます。朝昼晩の食事の中で世の中の味わいを習い覚えるとき、濃い味にも喜ばず、淡い味にも嫌がらないようになって、はじめて地に足のついた修養と言えます。
解説
静と動の二つの場面から、日常の修養を説いた一則です。五更は夜明け前、まだ一日の雑念が起こらない時間で、その時に自分の心を見つめると本来の姿が見えると言います。底本は面日に作りますが、面目の誤りとみられます。三時は朝昼晩の三度の食事で、濃い味淡い味に一喜一憂しないことを、世の中の順境逆境に動じない練習に重ねています。菜根譚にもほぼ同じ句があります。修養は特別な場所で行うものではなく、目覚めの床と毎日の食卓という、もっとも身近な場で積み重ねるものだという教えです。朝起きてすぐの数分を、自分の心を眺める時間にしてみてはどうでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
修身心性節制朝菜根譚
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