酔古堂剣掃 / 集素・主の榮と客の辱
明月可人,清風披坐,班荊問水,天涯韻士高人;下箸佐觴,品外澗毛溪蔌,主之榮也。高軒寒戶,肥馬嘶門,命酒呼茶,聲勢驚神震鬼;疊筵累幾,珍奇罄地窮天,客之辱也。
新字:明月可人,清風披坐,班荊問水,天涯韻士高人;下箸佐觴,品外澗毛渓蔌,主之栄也。高軒寒戸,肥馬嘶門,命酒呼茶,声勢驚神震鬼;畳筵累幾,珍奇罄地窮天,客之辱也。
書き下し
明月人に可く、清風坐を披き、荊を班き水を問ふは、天涯の韻士高人なり。 箸を下し觴を佐くるは、品外の澗毛溪蔌、主の榮なり。 高軒寒戶にし、肥馬門に嘶き、酒を命じ茶を呼び、聲勢神を驚かし鬼を震はす。 筵を疊ね几を累ね、珍奇地を罄し天を窮むるは、客の辱なり。
現代語訳
明るい月が人の心にかない、清らかな風が座に吹き込み、荊を敷いて座り、水の流れを尋ね歩くのは、遠い土地から来た風雅な人や高潔な人です。箸を下ろして杯のお供にするのは、品書きに載らない谷川の水草や渓流の野菜で、それこそが主人の誉れです。一方、立派な車が貧しい家に乗りつけ、肥えた馬が門でいななき、酒を持って来い茶を出せと命じて、その勢いは神も鬼も震え上がるほどです。宴席を重ね机を積み上げ、天地のあらゆる珍味を尽くすのは、かえって客の恥です。
解説
もてなしの真価を、質素な会と豪奢な会の対比で示した一則です。前半では、月と風のもと荊を敷いて語り合う韻士を、野の草や渓の菜でもてなすことが主人の誉れだとします。班荊は、春秋時代の楚の伍挙と声子が、荊を地に敷いて座り旧交を語り合った故事に基づく言葉です。澗毛溪蔌は谷川の水草や渓の野菜で、左伝にも神に供える質素な供物として見えます。後半では、権勢をかさに着て貧家に押しかけ、珍味を並べさせる客の姿を描き、それを客の辱と断じます。接待の値打ちは値段の高さではなく、心の通い合いにあるという教えは、今の会食にもそのまま通じます。
この章句が説くこと
交友清貧礼節もてなし風雅
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集韻・虛禮を尚ばず吾が齋の中、虛禮を尚ばず、凡そ此の齋に入る者は、均しく知己為り。 分に隨ひて款留し、形を忘れて笑語し、是非を言はず、榮利を侈らず、閑かに古今を談じ、靜かに山水を玩び、清茶好酒、以て幽趣に適ふ、臭味の交は、斯の如きのみ。
-
『酔古堂剣掃』集素・客を待つは潔くして侈らず客を待つは當に潔くすべく、當に侈るべからず。 繼ぐ能はざるを論ずる無く、亦た福を惜しむ所以に非ず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・徑裏の閑談は石を拂ふに宜し郊中に野坐するは、固より荊を班くべく、徑裏に閑談するは、最も石を拂ふに宜し。
-
『酔古堂剣掃』集倩・半簾の明月人を窺ふ茅屋竹窗、一榻の清風客を邀へ、 茶爐藥竈、半簾の明月人を窺ふ。
-
『酔古堂剣掃』集素・賓主兩つながら忘る園中に奇花異石を辨ずる能はず、惟だ一片の樹陰、半庭の蘚跡のみ、差や心を會し形を忘るべし。 友來れば或いは膝を促して劇論し、或いは掌を鼓して歡笑し、或いは彼談じ我聽き、或いは彼默し我喧しく、而して賓主兩つながら忘る。
-
『酔古堂剣掃』集素・大賓と雖も牲を宰らず親にも飯を抬げず、大賓と雖も牲を宰らず。 直だに奢侈を戒めて久しかるべきのみに匪ず、亦た將に煩勞を免れて以て身を安んぜんとす。