酔古堂剣掃 / 集素・賓主兩つながら忘る
園中不能辨奇花異石,惟一片樹陰,半庭蘚跡,差可會心忘形。友來或促膝劇論,或鼓掌歡笑,或彼談我聽,或彼默我喧,而賓主兩忘。
新字:園中不能弁奇花異石,惟一片樹陰,半庭蘚跡,差可会心忘形。友来或促膝劇論,或鼓掌歓笑,或彼談我聴,或彼黙我喧,而賓主両忘。
書き下し
園中に奇花異石を辨ずる能はず、惟だ一片の樹陰、半庭の蘚跡のみ、差や心を會し形を忘るべし。 友來れば或いは膝を促して劇論し、或いは掌を鼓して歡笑し、或いは彼談じ我聽き、或いは彼默し我喧しく、而して賓主兩つながら忘る。
現代語訳
私の庭には珍しい花や変わった石をそろえることはできません。ただひとかたまりの木陰と、庭の半分を覆う苔の跡があるだけですが、それでも心にかない、我を忘れるには十分です。友が来れば、膝を突き合わせて激しく論じ合ったり、手を打って大笑いしたり、相手が話して私が聞いたり、相手が黙って私がしゃべったりして、客と主人の区別も忘れてしまいます。
解説
簡素な庭と、気の置けない友との交わりを描いた一則です。奇花異石は珍しい花や奇石で、明代の文人が庭園に競って集めたものです。そうした贅沢ができなくても、木陰と苔があれば会心忘形、つまり心にかない我を忘れることができると言います。促膝は膝を寄せ合うこと、劇論は激しく議論することです。語る、笑う、聞く、黙るのどれもが自然で、主客の遠慮もない交わりは、まさに理想の友情の姿です。立派な設えやもてなしよりも、互いに気兼ねなく過ごせることこそが人付き合いの宝です。そんな友がいれば、狭い庭も最高の場所になります。
この章句が説くこと
交友清貧閑適庭忘形
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