酔古堂剣掃 / 集素・王孫の南浦に別る
帝子之望巫陽,遠山過雨;王孫之別南浦,芳草連天。
書き下し
帝子の巫陽を望むは、遠山雨過ぎ、王孫の南浦に別るるは、芳草天に連なる。
現代語訳
帝の子が巫山の南を望むときには、遠い山に雨が通り過ぎていきます。貴公子が南の水辺で別れを告げるときには、香しい草が天まで続いています。
解説
楚辞や六朝の詩文の名場面を下敷きにして、景色に思いを託した対句です。帝子は楚辞に見える帝の子の呼び名で、巫陽は巫山の南、雨や雲とともに現れる神女の伝説で知られる地です。王孫は楚辞の招隠士に、王孫は遊んで帰らず春草が茂る、と歌われる貴公子の呼び名です。南浦は梁の江淹の別れの賦に、君を南浦に送る、とある別れの水辺です。遠山に過ぎる雨と天に連なる芳草が、はるかな思慕と別れの名残を映しています。言葉にしにくい気持ちを、景色に託して伝える手法は、手紙や挨拶の一文にも生かせるでしょう。
この章句が説くこと
風雅自然別離詩情楚辞
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