酔古堂剣掃 / 集素・未だ必ずしも閒人に出でず
栽花種竹,未必果出閒人;對酒當歌,難道便稱俠士?
新字:栽花種竹,未必果出閒人;対酒当歌,難道便称侠士?
書き下し
花を栽ゑ竹を種うるも、未だ必ずしも果して閒人より出でず。 酒に對して當に歌ふべきも、難道ぞ便ち俠士と稱せんや。
現代語訳
花を植え竹を育てているからといって、それが本当に心の閑かな人のしわざとは限りません。酒を前にして歌うからといって、どうしてそれだけで任侠の士と呼べるでしょうか。
解説
外から見える趣味や振る舞いだけで人柄を決めつけることを戒めた一則です。前の句は、園芸という風雅な行いが、必ずしも心の閑かさから出ているわけではないと言います。後の句の對酒當歌は、魏の曹操の短歌行の冒頭として名高い句で、酒を酌んで豪快に歌う姿を指します。そうした姿をまねても、義をおもんじる俠士の中身が伴うとは限りません。難道は、まさか、どうして、という反語の口語表現です。肩書きや持ち物、趣味の見せ方で人を判断しがちな今日にも、形より中身を見よという戒めとして響きます。

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処世風雅修身見識形式
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