酔古堂剣掃 / 集素・無事の時に常に病の想ひを作す
人在病中,百念灰冷,雖有富貴,欲享不可,反羨貧賤而健者。是故人能於無事時常作病想。一切名利之心,自然掃去。
書き下し
人病中に在れば、百念灰のごとく冷え、富貴有りと雖も、享けんと欲して可ならず、反つて貧賤にして健やかなる者を羨む。 是の故に人能く無事の時に於て常に病の想ひを作さば、一切名利の心、自然に掃ひ去らん。
現代語訳
人は病気になると、あらゆる思いが灰のように冷えてしまい、富や地位があっても、楽しもうとして楽しめず、かえって貧しくても健康な人をうらやみます。ですから、何事もない平穏なときに、いつも病気のときのことを思い描くようにすれば、名誉や利益を求める心はすべて、ひとりでに払い去られるでしょう。
解説
病床の心持ちを先取りして、名利への執着を冷ます工夫を説いた一則です。百念灰冷は、あれこれの欲や計画がすべて灰のように冷めてしまう様子です。病めば富貴も楽しめず、貧しくとも健やかな人のほうがうらやましくなる、という逆転がまず示されます。そこから、元気なうちにその心持ちを思い出しておけ、という教えが導かれます。菜根譚にも、病や死を思えば欲の火が冷めるという似た趣旨の句があります。昇進や収入のことで頭がいっぱいになったとき、寝込んだ日の自分が本当に欲しかったものを思い返すと、優先順位が静かに入れ替わるかもしれません。
この章句が説くこと
清貧処世名利病健康
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『酔古堂剣掃』集醒・人常に死する時を想へば人常に病める時を想へば、則ち塵心便ち減ず。 人常に死する時を想へば、則ち道念自ら生ず。
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菜根譚・後集色慾は火のごとく熾んなり。而して一念、病時に及べば、便ち興は寒灰に似たり。名利は飴のごとく甘し。而して一想、死地に到れば、便ち味は蝋を嚼むが如し。故に人は常に死を憂え病を慮らば、亦た以て幻業を消して道心を長ずべし。