酔古堂剣掃 / 集醒・患難の心を以て安樂に居る
以患難心居安樂,以貧賤心居富貴,則無往不泰矣;以淵谷視康莊,以疾病視強健,則無往不安矣。
新字:以患難心居安楽,以貧賤心居富貴,則無往不泰矣;以淵谷視康荘,以疾病視強健,則無往不安矣。
書き下し
患難の心を以て安樂に居り、貧賤の心を以て富貴に居れば、則ち往くとして泰ならざる無し。淵谷を以て康莊を視、疾病を以て強健を視れば、則ち往くとして安からざる無し。
現代語訳
困難な時の心で安楽な境遇にいて、貧しく低い時の心で富貴な境遇にいれば、どこへ行っても安泰でないことはありません。深い淵や谷を見る目で平らな大通りを見て、病気の時の目で健康な体を見れば、どこへ行っても安らかでないことはありません。
解説
恵まれた時にこそ、苦しい時の心を忘れるなと説く一則です。安楽のときに患難の心を、富貴のときに貧賤の心を持っていれば、驕りも油断も生まれず、どこにいても泰然としていられます。また、康荘、つまり平坦な大通りを歩くときも、深い淵や谷を見るように用心し、健康なときも病気のときのように体をいたわれば、どこへ行っても危うくありません。易経の、安くして危うきを忘れず、存して亡ぶを忘れずという教えにも通じます。順調なときほど気がゆるみ、健康なときほど無理をしがちです。うまくいっている時期こそ、苦しかった時のことを思い出し、備えを怠らないようにしたいものです。
この章句が説くこと
戒慎安危修身処世知足
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集醒・足るを知る者は身貧しくして心富む得るを貪る者は、身富みて心貧し。足るを知る者は、身貧しくして心富む。高きに居る者は、形逸にして神勞す。下に處る者は、形勞して神逸す。
-
『酔古堂剣掃』集醒・遇に隨ひて安んず人言ふ、天は人の富貴を禁ぜずして、人の清閒を禁ずと。人自ら閒ならざるのみ。若し能く遇に隨ひて安んじ、將來を圖らず、既往を追はず、目前に蔽はれずんば、何の清閒か之れ有らざらん。
-
『酔古堂剣掃』集峭・困窮の背後には福跟隨す榮寵の旁邊には辱め等待す、必ずしも揚揚たらず;困窮の背後には福跟隨す、何ぞ戚戚たるを須ひん。
-
『酔古堂剣掃』集醒・熱地に於いて冷を思ふ能く熱地に於いて冷を思へば、則ち一世淒涼を受けず。能く淡處に於いて濃を求むれば、則ち終身枯槁に落ちず。
-
『呻吟語』外篇・人情・淵谷を以て康莊を視る患難の時の心を以て安樂に居り、貧賤の時の心を以て富貴に居り、屈局の時の心を以て廣大に居らば、則ち往くとして泰然ならざる無し。淵谷を以て康莊を視、疾病を以て強健を視、不測を以て無事を視れば、則ち往くとして安穩ならざる無し。
-
『酔古堂剣掃』集醒・無事を料れば必ず事有り平地坦途も、車豈に蹶く無からんや。 巨浪洪濤も、舟亦た渡るべし。 無事を料れば必ず事有り、事有るを恐るれば必ず事無し。