酔古堂剣掃 / 集醒・事を完うするは事を省くに如かず
病至,然後知無病之快;事來,然後知無事之樂。故御病不如卻病,完事不如省事。
新字:病至,然後知無病之快;事来,然後知無事之楽。故御病不如却病,完事不如省事。
書き下し
病至りて、然る後に病無きの快を知る。事來りて、然る後に事無きの樂しみを知る。故に病を御するは病を卻くるに如かず、事を完うするは事を省くに如かず。
現代語訳
病気になってみて、はじめて病気のない心地よさがわかります。面倒な事が起きてみて、はじめて何事もない楽しさがわかります。ですから病気を治すよりは病気を寄せつけないほうがよく、事をうまく片づけるよりは事を減らすほうがよいのです。
解説
失ってはじめて気づく平穏のありがたさと、予防の大切さを説いた一則です。病気になると、健康であることがいかに快いかを痛感します。厄介な事件に巻き込まれると、何もない日々がいかに楽しいかを知ります。だからこそ、病を御する、つまり病気になってから治療するより、病を却ける、つまりはじめから病気を遠ざけるほうがよいと言います。同様に、事を完うする、つまり起きた問題を見事に処理するより、事を省く、つまり問題の種を減らすほうがよいのです。医学の未病という考えにも通じます。問題解決の手腕が評価されがちですが、問題そのものを生まない工夫こそ、本当に賢いやり方なのかもしれません。
この章句が説くこと
養生予防省事処世平穏
関連する章句
-
『格言聯璧』持躬類・病生じて始めて無病の樂しみを知る戶を閉ぢて、然る後に平日の交はりの濫りなるを知る。 欲を寡くして、然る後に平日の病の多きを知る。 情に近づきて、然る後に平日の念の刻なるを知る。 無病の身は、其の樂しみを知らざるなり。病生じて始めて無病の樂しみを知る。 無事の家は、其の福を知らざるなり、事至りて始めて無事の福を知る。
-
『酔古堂剣掃』集素・無事の時に常に病の想ひを作す人病中に在れば、百念灰のごとく冷え、富貴有りと雖も、享けんと欲して可ならず、反つて貧賤にして健やかなる者を羨む。 是の故に人能く無事の時に於て常に病の想ひを作さば、一切名利の心、自然に掃ひ去らん。
-
『酔古堂剣掃』集素・真を葆つは思ひを少なくするに如くは莫し真を葆つは思ひを少なくするに如くは莫く、過ちを寡なくするは事を省くに如くは莫し。 善く應ずるは心を收むるに如くは莫く、謬りを解くは志を澹くするに如くは莫し。
-
『酔古堂剣掃』集醒・患難の心を以て安樂に居る患難の心を以て安樂に居り、貧賤の心を以て富貴に居れば、則ち往くとして泰ならざる無し。淵谷を以て康莊を視、疾病を以て強健を視れば、則ち往くとして安からざる無し。
-
『酔古堂剣掃』集醒・拙の一字にて罪過を免る拙の一字にて、無千の罪過を免れ了り、閒の一字にて、無萬の便宜を討め了る。
-
『酔古堂剣掃』集法・福を惜しむを以て生を延ぶ近くは事を靜かにするを以て己を約し、遠くは福を惜しむを以て生を延ぶ。