酔古堂剣掃 / 集素・流水一灣、便ち是れ小桃源
何地非真境?何物非真機?芳園半畝,便是舊金谷;流水一灣,便是小桃源。林中野鳥數聲,便是一部清鼓吹;溪上閒雲幾片,便是一幅真畫圖。
新字:何地非真境?何物非真機?芳園半畝,便是旧金谷;流水一湾,便是小桃源。林中野鳥数声,便是一部清鼓吹;渓上閒雲幾片,便是一幅真画図。
書き下し
何れの地か真境に非ざらん。何れの物か真機に非ざらん。 芳園半畝、便ち是れ舊の金谷。流水一灣、便ち是れ小桃源。 林中の野鳥數聲、便ち是れ一部の清鼓吹。溪上の閒雲幾片、便ち是れ一幅の真畫圖。
現代語訳
どこが真の境地でない所がありましょう。何が真の天の働きでないものがありましょう。香りのよい半畝の庭も、そのまま昔の金谷園です。ひと曲がりの流れも、そのまま小さな桃源郷です。林の中の野鳥の幾声かは、そのまま一揃いの清らかな楽隊の音楽です。谷川の上の幾ひらかののどかな雲は、そのまま一幅の本物の絵画です。
解説
どこにでも理想の世界はあると述べた一則です。真境は真の境地、真機は天地の真の働きです。半畝はごく小さな土地です。金谷は晋の富豪石崇が洛陽に築いた豪華な庭園、金谷園のことです。桃源は陶淵明の桃花源記に描かれた、俗世から離れた理想郷です。鼓吹は太鼓と笛の楽隊で、野鳥の声を天然の音楽になぞらえています。小さな庭が名園に、小川が桃源郷に、鳥の声が音楽に、雲が名画になる。変わるのは物ではなく、それを見る心です。清貧と素朴を集めた集素の句らしく、今いる場所をそのまま理想郷にする心の持ち方を教えてくれます。遠くに楽園を探す前に、足元を見直してみたくなります。
この章句が説くこと
知足自然桃源郷心境清貧
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