酔古堂剣掃 / 集素・寂寞たる衡茆に燕の寢ぬるを觀る
芳菲林圃看蜂忙,覷破幾多塵情世態;寂寞衡茆觀燕寢,發起一種冷趣幽思。
新字:芳菲林圃看蜂忙,覷破幾多塵情世態;寂寞衡茆観燕寝,発起一種冷趣幽思。
書き下し
芳菲の林圃に蜂の忙しきを看て、幾多の塵情世態を覷破す。 寂寞たる衡茆に燕の寢ぬるを觀て、一種の冷趣幽思を發起す。
現代語訳
花の香る林や畑で蜂がせわしなく飛び回るのを見て、どれほど多くの俗な人情や世の有り様を見抜いたことでしょう。ひっそりとした粗末な家で燕が巣に休むのを見て、ある種の冷ややかな趣と奥深い思いが湧き起こります。
解説
小さな生き物の姿から、世の中と自分の心を見つめた対句です。芳菲は花の香りや美しさ、林圃は林と畑です。蜜を求めて忙しく飛び回る蜂の姿は、利益を求めてあくせくする人の世の縮図のようです。覷破は見破ることです。衡茆は横木の門と茅ぶきの家で、隠者の粗末な住まいを言います。燕寝は燕が巣で休むことです。忙しく働く蜂と静かに休む燕を対比して、世の喧騒と、そこから離れた静けさの両方を描いています。冷趣は冷ややかで清らかな趣、幽思は奥深い思いです。菜根譚にもほぼ同じ句があります。身近な生き物の営みに目を留めることで、自分の生き方を映す鏡が得られることを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
自然自省処世閑適菜根譚
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