酔古堂剣掃 / 集素・水暖水寒魚自ら知る
花開花落春不管,拂意事休對人言;水暖水寒魚自知,會心處還期獨賞。
新字:花開花落春不管,払意事休対人言;水暖水寒魚自知,会心処還期独賞。
書き下し
花開き花落つるも春は管せず、意に拂る事は人に對して言ふを休めよ。 水暖かに水寒きは魚自ら知る、心に會する處は還た獨り賞するを期す。
現代語訳
花が咲こうが散ろうが、春はかまいません。思い通りにならないことは、人に向かって言うのはやめなさい。水が温かいか冷たいかは、魚が自分で知っています。心にかなうところは、やはり独りで味わうのがよいのです。
解説
不満も喜びも、人に語らず自分の内に収めよと説いた対句です。前半は、春が花の開落に一喜一憂しないように、思い通りにならない事、つまり払意の事は、人にこぼさないほうがよいと言います。後半の、水の冷暖は魚自ら知るは、禅でいう冷暖自知で、悟りは自分で体験して知るしかないという意味です。会心の処は心にかなう喜びで、それもまた人に見せびらかさず独りで味わうのがよいと言います。愚痴は言えば言うほど自分の中で大きくなり、喜びは語りすぎると薄れてしまうものです。心の出来事を安易に外に出さず、自分の中でじっくりと受け止める静けさを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
禅忍自得言葉修身
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