酔古堂剣掃 / 集素・煙火其の更に舉がるに聽す
午睡醒來,頹然自廢,身世庶幾渾忘;晚炊既收,寂然無營,煙火聽其更舉。
新字:午睡醒来,頽然自廃,身世庶幾渾忘;晩炊既収,寂然無営,煙火聴其更舉。
書き下し
午睡醒め來りて、頹然として自ら廢し、身世庶幾はくは渾て忘れん。 晚炊既に收まり、寂然として營む無く、煙火其の更に舉がるに聽す。
現代語訳
昼寝から覚めて、ぐったりと何もする気になれず、わが身のことも世のことも、すっかり忘れてしまえそうです。夕飯の支度も片づき、ひっそりとして何の用事もなく、炊事の煙がまた立ちのぼるなら、それはそれで成り行きにまかせます。
解説
何もしない午後と夕べの、力の抜けた安らぎを描いた対句です。頽然はくずれるようにだらりとしたさま、自廃は自分から何もしないでおくことです。身世は自分の身と世の中、庶幾はそうなればよいという願い、渾忘はすっかり忘れることです。晩炊は夕食の炊事、寂然はひっそりと静かなさま、無営は何も営まないことです。煙火其の更に挙がるに聴すとは、次の炊事の煙が上がるのも自然の成り行きにまかせるということで、先の予定に心を煩わせない姿です。現代では何もしない時間に罪悪感を抱きがちですが、ときにはこうして心身を完全に休ませる時間が、次の活力を生むのです。
この章句が説くこと
閑適休息無為清貧午睡
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