酔古堂剣掃 / 集素・此れは是れ山林の經濟なり
口中不設雌黃,眉端不挂煩惱,可稱煙火神仙;隨意而栽花柳,適性以養禽魚,此是山林經濟。
新字:口中不設雌黄,眉端不挂煩悩,可称煙火神仙;随意而栽花柳,適性以養禽魚,此是山林経済。
書き下し
口中に雌黃を設けず、眉端に煩惱を挂けざれば、煙火の神仙と稱すべし。 意に隨ひて花柳を栽ゑ、性に適ひて以て禽魚を養ふ、此れは是れ山林の經濟なり。
現代語訳
口先で好き勝手に人を評したり言い直したりせず、眉のあたりに悩みの色を浮かべなければ、俗世の炊煙の中に暮らす仙人と呼んでよいでしょう。気の向くままに花や柳を植え、生き物の性分に合わせて鳥や魚を飼う。これこそが山林における世の治め方です。
解説
世俗の中で仙人のように暮らす道と、山林での暮らしの営みを述べた対句です。雌黄は昔、文字の誤りを塗り消すのに用いた黄色の顔料で、晋の王衍が意見を気ままに改めたことから、口から出まかせを言うことを口中の雌黄と言います。眉端に煩悩を挂けずとは、悩みを顔に出さないことです。煙火は炊事の煙、つまり俗世の暮らしで、煙火の神仙は俗世にいながら仙人のように自由な人を言います。経済はもとは経世済民、つまり世を治め民を救うことです。山林の経済とは、花を植え鳥や魚を育てることが隠者にとっての治世だという、ユーモアを込めた言い方です。口と顔を慎み、身近な命を大切に育てる。それが自分なりの世の治め方なのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
言葉隠逸閑適神仙処世
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