酔古堂剣掃 / 集素・竹密なるも何ぞ水の過ぐるを妨げん
是非場裏,出人逍遙;順逆境中,縱橫自在。竹密何妨水過,山高不礙雲飛。
新字:是非場裏,出人逍遥;順逆境中,縦横自在。竹密何妨水過,山高不礙雲飛。
書き下し
是非の場裏、出人逍遙し、順逆の境中、縱橫自在なり。 竹密なるも何ぞ水の過ぐるを妨げん、山高きも雲の飛ぶを礙げず。
現代語訳
是非を争う場の中にあっても、出入りしながら気ままにのびのびとし、順境と逆境の中にあっても、縦横に自由自在にふるまいます。竹がどれほど密に生えていても、水が流れ過ぎるのを妨げはせず、山がどれほど高くても、雲が飛んでいくのを妨げはしません。
解説
世間の是非や境遇の順逆にとらわれない自在な心を説いた一則です。是非の場は人が正しい正しくないと言い争う世界、順逆は思い通りになる境遇とならない境遇です。出人は出入の誤りと思われ、是非の渦に出入りしながらも、心は逍遙、つまり束縛なく遊ぶと言います。縦横自在は、どの方向にも自由に動けることです。後半の二句は禅語として知られ、竹密にして流水の過ぐるを妨げず、山高くして白雲の飛ぶを礙げず、という形で禅林で親しまれています。竹や山のような障害があっても、水や雲のように柔らかく通り抜ければよいのです。対立の多い職場でも、正面からぶつからず、しなやかに通り抜ける心の在り方を教えてくれます。
この章句が説くこと
禅自在逍遥処世柔軟
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